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 2023.08.28配信 『「指導死」を授業で扱ったのは是か非か? 子どもの死をタブー視する、残念な日本の教育』についての紹介です。


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ウェブサイト 2023/08/28 【 記事 】

【連載:どうする学校? どうなの保護者?ーVol.5ー】

高校教師が教壇に立てなくなったわけ

 先日、関西の高校に勤めるある先生から、久しぶりに連絡をもらいました。以前1度取材させてもらったことがある、30代の男性教員です。仮にカワカミ先生と呼びましょう。 取材の際、筆者の細かい疑問に根気よく楽しげに答えてくれたカワカミ先生は、「教えることが根っから好きな人」という印象でした。
 そんなカワカミ先生が、今年は「教壇に立っていない」とのこと。驚いて何があったのか尋ねると、授業で取り扱ったいくつかの内容が不適切だったと指摘され、教育委員会から研修命令を受けているのだとか。このままいくと免職の可能性もあるといいます。
 教育委員会の判断の適否はちょっと筆者には分からないのですが、話を聞くと「不適切」とされた授業の1つは、とても興味深いものでした。
 今回はその授業について考えてみたいと思います。


「指導死」訴訟を、裁判制度学習の題材にした

 カワカミ先生が授業で取り上げたのは、勤務校で過去に起きた「指導死」に関する訴訟でした。指導死とは、学校で行われる指導で子どもが肉体的・精神的に追い詰められて自ら死に追い込まれる事案です。学校にとっては、なるべく触れられたくない話でしょう。 同校では8年ほど前、1人の生徒が教員から指導を受けた後に命を絶ち、遺族が「過度な指導があった」として訴訟を起こしていました。カワカミ先生はこの訴訟を、公民の授業で裁判制度を学ぶ題材として取り上げたのです。
 きっかけは、授業中に生徒から「こういうことがあったのを、先生は知っていますか?」と質問されたことでした。聞いたことはあったものの詳細を知らなかったため、カワカミ先生は「興味があるなら、自分で情報公開請求して調べてみたら」と生徒に伝えます。しかし請求してみると、教育委員会から出てきた資料はほぼ全て黒塗りで情報は得られませんでした。
 その後、裁判所のホームページにこの裁判の判決が公開されていることを知ったカワカミ先生は、翌年度改めて授業の題材として同裁判を取り上げ、さらに学習後は生徒たちが書いた感想文を、いまは遠くに住むご遺族のもとに直接届けるという行動に出たのでした。
 亡くなった生徒の母親は、生徒たちの感想文を読むと涙を流して喜び、祖父からも後日、カワカミ先生のもとに感謝の手紙が届いたということです。
 一方で教育委員会は、こういったカワカミ先生の授業や行動について、生徒や遺族への配慮が十分でなかったものと指摘しています。


大人が口を閉ざせば子どもは学ぶ機会を失う

 カワカミ先生の授業や行動については、賛否両論あるかもしれません。教育委員会の指摘については、筆者もある程度は同意します。結果的にご遺族が喜んでくれたからよかったものの、そうはならない可能性もあったからです。
 それでも、実際に生徒たちの感想文を受け取ったご遺族の反応を聞くと、全面否定する気にもなれません。生徒が亡くなったあと、学校や教育委員会の関係者たちが一様に口を閉ざすなか、突然とはいえ同校の教員がわざわざ遠くから来訪し、わが子の遺影に手を合わせてくれたのです。それはやはり、うれしかったでしょう。
 また、自分が通う学校で起きた事件を生徒たちが学んだのも、貴重なことと感じます。いたましい事件だからこそせめて記憶され、教訓として生かされたいものです。亡くなった生徒やご遺族も、それを望んでいるのでは。
 しかし、この件を筆者が知人に話したところ、「自殺について思春期の子どもに教えると、誘発する危険があるのでは?」と言われ、うーんと考え込んでしまいました。
 確かに慎重に取り上げなければならないテーマですが、ここで考えるべきは、自ら死を選ぶにいたらしめた経緯など、外的な要因です。タブーにして扱いを自粛すれば、問題は改善されず、同じようなことが繰り返されかねません。「過労死」と同様です。


もっと子どもの死をオープンに語るべき

 指導死を学校で教えることについて、どう考えればよいのか? 「指導死親の会」共同代表の大貫隆志さんに尋ねてみました。息子さんを指導死で亡くした経験がある大貫さんは、「もっと死をオープンに語るべきだ」と言います。
「私はこれまで、小・中学校、高校、大学、少年院の皆さんに、指導死やいじめ自殺について話をしてきています。子どもたちはとても真剣に話を聞いてくれますし、家族や友人との関係のなかで自分が体験してきたことを踏まえ、感想も寄せてくれます。
 一方で大人のほうは、子どもの死について知識をもち、それを子どもに届く言葉で話せる人がほとんどいません。『寝た子を起こすな』と言って口を閉ざしてしまうため、結果的に子どもたちは、死を正面から考える機会を奪われてしまいます。性教育と似たような構造です。もっと死をオープンに語るべきですし、議論を深めていったほうがいいと思います」
 ご遺族とのやりとりに関する是非はともあれ、指導死を扱ったカワカミ先生の授業は、悪いものではなかったように筆者は感じます。学校が子どもたちに「自殺」や「死」をどのように教えるかを考えるきっかけの1つにできないものでしょうか。