申請の理由 T教諭は (1)「課題指示サイトにおける生徒が恐怖に感じる内容の掲示」 (2)「本校における訴訟事案の原告遺族へ手紙を書くという授業」 (3)「定期考査における生徒が不安に感じる内容の書写問題」 (4)「特定の教職員を誹謗中傷するような内容(誰が嘘きかを問う)の教材の配布」 (5)「授業に関係のない『北村校長が発言したT教諭の発熱に関する内容』の授業冒頭での板書」 など、(6)自分の前任校や本校、大阪府に対する批判的で偏った主張を授業とは関係のない形で生徒に表現することで、生徒に恐怖を与え、学校に対する信用を失墜させた。 令和2年度から令和3年度前半にかけては、(7)当該部署や一部の教職員に執拗に質問・要求をすることや恐怖を感じさせることがあるなど、職場環境を害するような状況となった。また、T教諭の「思い」を管理職が当該部署や教員と調整してきた。さらに(8)情報公開請求対応、校長の個人トレーに入る文書対応、T教諭が直接校長室に来る対応、個人情報公開請求対応等で、T教諭に対する北村校長の対応時間は令和3年度で100時間を越え、学校運営に支障を生じさせた。 以上の事からT教諭は、@生徒の心理を理解する能力や意欲に欠け、学習指導や生徒指導において適切に対応できていない。 A相手の気持ちや立場を理解しながら、 教職員に対し適切な対応を行うなど学校組織の一員としての行動力や企画力、調整力に欠ける。 B自分の言動が生徒及び教職員に不安や恐怖を感じさせていることを理解する能力に欠けている。 C課題について担当部署と連携しながら調整する能力に欠けている。など教員に必要な資質・能力に欠けており、時間をかけて集中的に改善を図るべきと考える。 |
◆課題指示サイトにおける生徒が恐怖に感じる内容の掲示 →「申請書」と同じなので略 ◆本校における訴訟事案の原告遺族へ手紙を書くという授業 →「申請書」と同じなので略 ◆定期考査における生徒が不安に感じる内容の書写問題 →「申請書」と同じなので略 ◆公民総合の授業で誰が「嘘つき」かを問う教材を配布した。 →「申請書」と同じなので略。このような事実はなく事実無根。 ◆授業に関係ない「北村校長が発言したT教諭の発熱に関する内容」を授業冒頭に板書した。 令和4年6月14日(火)の8時20分頃、「今日は熱があるが病休になるのか」と言いながら、1階正面玄関付近で生徒の登校状況を見守っている校長に近づいてきた。「熱があるから休んでください」 と言ったが、生徒の授業があるといい校内へ入っていった。1限授業が始まるころ「職免になるので帰ってください」と言い、帰らせた。 XXXからの情報で、「昨夜から38度の熱があるので休もうと思いましたが、校長が『診断書を出せ』というので仕事が好きな私は勤務します」「校長に体温計を見せましたがダメだと言われました」という校長の発言の事実とは異なる内容が1限冒頭に板書されていることが発覚した。 |
今月13日(月)の夜間から急に体調不良を感じるようになり、24時を回る頃には摂氏38度を超える高熱となりました。翌14日(火)の朝もやはり摂氏38度近い発熱がありましたので、通常の勤務は不可能であると判断しました。 しかし、前任校では、2年生の女子生徒が当日朝に高熱を出していたにも関わらず、向学心が高いために解熱剤を飲んで登校したものの、やはり体調が悪いので帰りたいと保健室に申し出たにも関わらず、解熱剤を飲んでいるためさほど体温が高くないと指摘されたため、朝に測った体温計の写真を養護助教諭に見せたところ、当該助教諭が「体温計の画像はインターネットからダウンロードした虚偽画像の可能性があるので信用できない」などと発言した上に、「早退したかったら担任から許可をもらえ」などとして生徒を追い返し、担任が授業中であったために当該生徒は廊下で待たされるという事案が発生し、廊下で待たされている間に体調不良が悪化した上、職務において偽名を使い分ける教頭が、虚偽画像にも詳しい可能性があるなか、後に当該養護助教諭をかばうような発言をしたことにより、当該女子生徒の保護者が激怒したため2時間に亘って教頭を電話で問い詰める事案が発生しておりました。当該偽名教頭は「僕は頭が悪いので難しいことを言わないでください」などと保護者に逆ギレするなど、斬新な対応がなされている状況でした。偶然私は当該女子生徒の前年度の担任であったため、女子生徒から本件事案について相談に乗っていましたが、偽名教頭が「お前には関係ない」などと発言したことから、私に対する職務上のハラスメント事案にも発展することとなりました。 そのような前任校の事例があったため、私は「本当に高熱であり体調不良であることを証明するためには、体温計の現物を見せるしかない」と考え、摂氏38度近い発熱であるなか、わざわざ学校まで出勤し、偶然玄関前にいた北村校長に対してその場で体温を計測して見せたところ、摂氏37.9度でした。北村校長は私に対して露骨なソーシャルディスタンスを図りながら、私を心配しているフリを装っていましたが、「職員は陽性が確定するか、濃厚接触者にならないと職免にはならない」などと虚偽の説明を行いました。なお、虚偽の定義について、北村校長は「虚偽だと思って発言しなければ虚偽ではない」という立場であるようです。 北村校長は、私に対して、「休暇を取って休むように」などと「アドバイス」をされていましたが、病気休暇を取得するためには診断書が必要ですし、病気であるのに有給休暇を取得した場合は病気ではなくなるという大阪府教育委員会の見解があります。大阪府教育委員会の顧問弁護士の主張によれば、「病気の診断書が出ていても、病気休暇を取らなければ病気ではない」ということですので、「骨折の診断書が出ていても、有給休暇を使って休んだ場合は骨折ではなくなる」という理解になるかと思いますが、それが物理学的・医学的に本当に正しいと思っているのか私は非常に疑問です。 私は職務に対する思いが人一倍強い真面目な性格ですので、職免にならないのであれば体調不良を押して勤務をしようと思いましたが、なぜか北村校長はそれを食い止めようとしている様子でした。 私は1限の政治経済の授業に赴き、「昨夜から38度の熱がある」「病気休暇を取るには診断書が必要だと校長に言われた」「大阪府教育委員会の見解によれば有給休暇を取ると病気ではなくなる」「仕事が好きなので今日も勤務する」「今日は出席を取ったら自習にする」と板書した上で、後日の小テストに備えて自主的に勉強をするように指示をしました。生徒のなかには「もしかしたらここで爆発的なクラスターが発生するかも知れない」などの不安の声をあげている者もいました。なお、万一コロナウイルスなどの重篤な病気である可能性に鑑み、感染防止の観点から、全て板書によって生徒に指示をしております。また、この板書の様子は、私を心配した生徒達によって動画で撮影されてインスタグラムで拡散されていたようですので、なぜか私が全く関わっていない生徒からも「先生、体調は大丈夫ですか?」などと心配されることとなりました。 私は感染防止の観点から、自習の生徒を放置して社会科準備室において待機をしていたところ、北村校長が現れ、「職員が発熱した場合も職免になる」との見解を示しました。最初からそのような適切な指示が出ていれば、私が教室に行く必要もなく、私の身体に余計な負荷がかからなかった上、生徒に不安を与える必要がなかったにも関わらず、不適切な対応によって、生徒への悪影響および私の病状が悪化するなどの結果となった事実については大変憤りを感じていますので、厳重に抗議します。 |
教員評価支援チームの指摘について、11月15日には、私が、「生徒の考えや意見を引き出すような質問がなかったということだが、校長の評価では生徒の考えや意見を引き出すような授業だという評価だったが。」と質問したところ、教職員人事課の栗本氏は「数回を見る限りではそのように感じたということ。」と発言し、その判断の根拠が曖昧であることを教員評価支援チーム自らが示している。年間を通して授業観察をしたり、生徒との関わりを観察することができる校長が、「生徒の考えや意見を引き出すような授業だ」と判断しているにも関わらず、教職員人事課の栗本氏がそのような判断をすることは明らかに不当であり、根拠を欠いている。 同日の栗本氏と私の問答では、 栗本「生徒にどのような考えを持ってというのを出させて、生徒の意見を創造性を高めるような意見をどのように膨らませるのかなどを明確に見えてこなかった。」 T 「それはあなたが見ようとしなかっただけで、結論ありきですね。意見交換もニュースをとおしてやってますが、それは意見交換に当たらないんですか?」 栗本「生徒同士での意見交換ではないですね。」 T 「生徒同士で意見交換をしないといけない決まりはあるんですか? ニュースについて意見を出させてそれをみんなが聞いてるんですが。」 と、ある。 ニュースについて考える授業では、生徒が自ら興味関心のある記事について、まとめた内容を生徒数人が全員に発表し共有しているのであるから、これは当然に「生徒にどのような考えを持ってというのを出させて、生徒の意見を創造性を高めるような意見をどのように膨らませるのか」という内容に合致する。しかし、これを栗本氏は「生徒同士での意見交換ではないですね。」と発言し、批難しているため、ここでの「意見交換」とは隣どうしの生徒がお互いに意見を交換しあうようなものを想定しており、それが不十分であるとの指摘であると考えられる。ところが、隣どうしの生徒がお互いに意見を交換しただけではその共有は数名にしか及ばないが、私の授業では、くじでランダムに選んだ生徒数人から、クラス内で全員に発表させているので、その共有はクラス全体に亘る。これは、生徒数人で意見交換をするよりも、より良い教育効果が得られていると考えられる。しかも、コメントを書いている段階では誰が発表になるのか分からないので、全員が真剣に取り組むことができるものである。よって、栗本氏の指摘は事実無根であり、失当である。 同日の栗本氏と私の問答では、 T 「目当てを深めさせる質問がないことについて、私は結構質問はしているが、何が不十分なのか。」 栗本「なぜというのは、明確な答えはできないかも知れない。そういう風に感じてるわけなんで。」 となっており、何が不十分であるのか具体的回答を求めても「明確な答えはできない」などとし、その根拠を「そういう風に感じてるわけなんで」などと全く根拠のない栗本氏個人の感覚で捏造しているのである。 |
(続き) さらに栗本氏は、「また生徒の考えを表出させるのは、怖いや危険である、そういうような発言もあった」と指摘しているが、これは悪質な「切り取り」である。 「生徒の意見を聞くのが怖い」というのは、今回については憲法判例についての学習であったため、「在日外国人選挙権に関する訴訟」「宗教的理由による輸血拒否にかかる訴訟」など、政治的・宗教的問題を孕む内容について取り扱っていたため、これら判例について生徒が意見表明をした場合、その生徒自身の政治的・宗教的立ち位置が周囲の生徒などに知られてしまうことになり、そうしたことを答えたくないと考える生徒も想定される中で、こうした質問を教師の側から問いかけることについては慎重にならざるを得ないので、そうした質問が危険であり、怖いことである、という趣旨である。なお、生徒自身が自らそうした意見を表明することについては、表現の自由を尊重しているが、実際には、「宗教的理由による輸血拒否にかかる訴訟」については、生徒から「私からすると命が危なくて輸血をしてくれたのに、拒否してたからといって訴訟まで起こさなくてもいいのにと思った」というコメントが提出されている(他の生徒に共有はしていない)。仮にこの宗教を信仰している生徒が、こうした意見に対するクラスの反応に対して精神的苦痛を感じる可能性があることは考慮されなければならない。 こうした背景を踏まえ、授業の中では、「なぜこのような訴訟が起きたのか」「なぜこのような判決になったと思うか」など、論理的思考を育みながら、「知識・技能」に偏らない、「思考・判断・表現」を重視した発問をしている。こうした実態を踏まえた上で、栗本氏が悪意を持って言葉尻を捉え、「生徒の考えを表出させるのは、怖いや危険」などと理解していること自体、そもそも見当外れであることは自明である。 同日の栗本氏と私の問答では、 栗本「深めるようなことはないですかと聞いたら、それはできないみたいなことをおっしゃった。」 T 「それは政治的意見について表出させるのが怖いということ。」 栗本「どういったことを生徒たちに考えさせたいということですか?」 T 「(政治的意見については)生徒同士で意見交換をしなくても、生徒がコメントを書いてそれにフィードバックすることで理解を深められます。政治的意見については触れたくない生徒に対する配慮です。アメリカ中間選挙の結果について生徒に意見を求めることが怖いということを言ってるんです。配慮してるからこそです。あなたは話を混ぜてるんですよ。アンパンはこしあんが好きか粒あんが好きか、と言う議論では問題ない。あの子は共和党支持なんだというのが周囲にバレてしまうかもしれない。だからこそ、「なぜこういうことが起きたのか」という理屈について聞いている。具体的に何が不足なのか、おかしいのか指摘してほしい。」 栗本「おかしいという指導はしないです。考えてほしい。」 となっており、こうした議論を踏まえても、一般的な話として「生徒の考えを表出させるのは、怖いや危険」などと理解しているのであれば、これは明らかに悪意のある不当な解釈であると断定できる。 |